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漆山家の歴史(1) 「ルーツ」

 私の祖父 二十二代 與十郎(よじゅうろう)は、再編した過去帳の冒頭にこう記しています。 「先祖は出羽守最上義光の世臣であったが 出羽村漆山(現在の山形市漆山)からこの地に移住して来たものであると言い傳えらる。尚 漆山の半沢家の一隅に漆山屋敷と称する所があると傳えらる。」*最上義光(もがみよしあき):戦国時代から江戸時代前期にかけて出羽国を治めた戦国大名。出羽山形藩の初代藩主。最上氏第11代当主で伊達政...

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漆山家の歴史(2) 「脱藩」

 代々最上家に仕えていた当家が、なぜ米沢領に移り住むことになったのか。私の父 二十三代 秀雄は、晩年当家の歴史について調べるなかで、東置賜郡史の一頁にその答えをみつけました。概要は次のようなものです。 「先祖は最上出羽守義光の嫡子七郎の近習を勤めていたが、諫言を理由に手討ちにされたため主人を恨み、天正年中に妻子を連れてこの領地に来た。そのとき、小瀧村禿(ツブレ)跡地の開作を申し渡され、それから村の方...

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漆山家の歴史(3) 「慶長出羽合戦」

 慶長5年9月、”関ヶ原の戦い”で徳川家康側の東軍と石田三成側の西軍が対峙していたまさにその時、現 山形市南部の長谷堂地区を舞台に、東軍の総大将 最上義光と、西軍を率いる上杉家家臣 直江兼続が死闘を繰り広げていました。後に”慶長出羽合戦(長谷堂合戦)”と呼ばれる東北有数の戦です。 関ヶ原の東軍の勝利が伝わると優勢だった上杉軍は撤退しますが、上杉の大軍の猛攻を防いで山形の本城と町を戦火から守った長谷堂城主 志...

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漆山家の歴史(4) 「江口五兵衛の墓」

 最上家家臣で畑谷城主の江口五兵衛光清(ごひょうえあききよ)は、慶長出羽合戦で直江兼続率いる上杉軍の攻撃を受け、500人の城兵と共に討ち死にしました。総大将 最上義光からは上杉の大軍襲来を前に退却の指示が出ていましたが、忠誠心から籠城した気骨の武将と伝えられています。 江口五兵衛の墓は、戦死を免れた兵士やその子孫によって山形市周辺の数か所に建てられていますが、その一つが当家のある南陽市小滝にも現存して...

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