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漆山家の歴史(4) 「江口五兵衛の墓」

 最上家家臣で畑谷城主の江口五兵衛光清(ごひょうえあききよ)は、慶長出羽合戦で直江兼続率いる上杉軍の攻撃を受け、500人の城兵と共に討ち死にしました。総大将 最上義光からは上杉の大軍襲来を前に退却の指示が出ていましたが、忠誠心から籠城した気骨の武将と伝えられています。

 江口五兵衛の墓は、戦死を免れた兵士やその子孫によって山形市周辺の数か所に建てられていますが、その一つが当家のある南陽市小滝にも現存しています。当時、敵方の米沢領だった小滝になぜ五兵衛の墓があるのでしょうか。

江口五兵衛の墓

 「小滝には最上家の旧臣である漆山丹波なるものが居住しており、この戦いでは、最上軍にも上杉軍にも参陣しなかったと言います。江口家家臣が彼を頼って逃げてきたのではないかとみられています。」南陽市文化財保護審査委員の佐藤鎮雄氏はこのように推察したあと、こう締めくくっています。
 「この墓は、単なる戦死した武将の墓というものを超えて、現代人にも大事なことを伝える貴重な文化遺産です。」 

 脱藩し、敵味方の間柄になってもなお頼られた初代とはどのような人物だったのか。タイムマシンができたら真っ先に会いに行きたいと思っています。